UCを振り返る その1~発症から1回目の入院決定~
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自分のUCの病歴について振り返ってみたいと思います。
【2015年2月中旬】
自分のお腹に違和感を感じ始めました。
トイレ行く回数が明らかに以前より増え、便は軟らかい。
たまに血が混じった便が出ていました。
「まあ、ただの下痢だろう」と思った自分は薬局で正露丸と整腸剤を買って過ごしていました。
ただ一向に直る気配がない。
日に日に腹痛とトイレの回数が増えて、血便の頻度が高まっていきました。
【3月中旬】
近くの内科へ。
医師「潰瘍性大腸炎かもね。」
ここで初めて潰瘍性大腸炎という名前を聞く。
「カイヨウセイダイチョウエン?」
当時の自分にはその単語はただの音の塊でしかないわけです。
不意にやってきた、いきなりやってきた音の塊を僕は左へ受け流した。
整腸剤(名前忘れました)とサラゾピリンを処方されました。
これを飲み終わる頃にはトイレの回数は減り、便も健康時の形や硬さに戻りました。
「薬のちからってすげー。もう治ったわ!」と思い、その後病院には全く行きませんでした。
【6月中旬】
4ヶ月前の症状が来てしまいました。
「流れ変わったな(UCだけに)」
(↑これ1回は使いたかった)
3月に行った内科を受診。
医師「治ったと思って受診止めちゃったの?ダメだよ~ やっぱり潰瘍性大腸炎再燃した確率が高いね。」
「カイヨウセイダイチョウエン。サイネン。」
そんなこと言われたって何の知識もない当時の自分は再発するもんだとは思いもせず。
整腸剤とサラゾピリンを再び処方され服用。
ただ、今度は症状が軽くならない。
【6月下旬】
内科へ行き、大きい病院への紹介状を書いてもらいました。
薬は変わらず整腸剤とサラゾピリンです。
【7月上旬】
紹介状を書いてもらった病院へ。
医師「やっぱり潰瘍性大腸炎の可能性が高いね。次回、大腸内視鏡検査で中の様子見させてね。」
薬はビオスリーとアサコールを処方されました。
【7月中旬】
やってきました大腸内視鏡検査。
人生で辛い日ランクで表彰台レベルの辛い日でした。
大腸内視鏡やったことある人は分かると思いますが、とにかく下剤が不味い。2リットル飲めと言われても全然進まないわけです。
なんなんですかね、あの独特の下剤の味といい食感というか触感って感じの口当たり。
結局1リットルちょい飲んで後は水をがぶ飲みして検査へ。
麻酔を使わなかったので、終始体内で何かが動く不快な感覚に加え、腸壁にカメラが当たる度に激痛に襲われました。
医師「こりゃひどいね。こんな悪化するまでよく我慢してたね~ kakitamaくん入院レベルだよ。」
この時、正式に(?)潰瘍性大腸炎と診断されました。
kakitama「普通に歩けますし食事に気を付ければ大丈夫じゃないんですか?入院は勘弁して下さい。」
7月中旬は大学の前期末の試験の直前でした。
Fランクソ大学の不真面目学生kakitama君は今まで何個も単位を落としてきたので、留年が「こんにちは」してくる可能性がありました。
とにかく入院だけは絶対に避けたい気持ちで一杯でした。
また、2015年7月当時の自分は大学4年生、2016卒の就活生でした。
3月説明会解禁、8月面接開始のイレギュラースケジュールの代です。
「入院したら面接どうすんねん。これまでの努力がパーやんけ。」
絶対に入院を阻止しなければなりません。
ここで勘のいい人は分かったと思いますが、自分は現在社会人2年目ということになります。
今度、UCと就活についてもまとめてみようかなと思います。
話を戻しましょう。
とにかく入院だけは避けたい。
kakitama「入院は嫌だ。入院は嫌だ。単位~単位~就活~御社~」
即日、入院決定。
続きはまた後ほど。
出来るだけ覚えてること書き残そうとすると、どうしても長くなりますね・・・
ブログで何をどこまで書くかなどを勉強しないと。
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